旅行の準備
広島から長野への体験
令和5年10月16日
広島発(09:07)- 名古屋着(11:19)のぞみ 10号
名古屋発(12:00)- 長野着(15:00)しなの 11号
令和5年10月18日
長野発(13:00)- 名古屋着(16:07)しなの 14号
名古屋発(16:26)- 広島着(18:46)のぞみ 75号
“日本旅行の赤い風船”プラン、大人3人一泊2日、新幹線と特急しなの指定席往復10万円に申し込む。
「日本旅行の赤い風船」は、日本旅行社が提供する国内旅行・ツアーブランドであり、国内の多様な旅行プランやツアーを提供しています。JRと宿泊がセットになった「赤い風船フリープラン[JRセットプラン]」は特に人気です。関西や北陸発の旅行プランも多数あり、ネット予約でのお得なプランも豊富。日本旅行社は110余年の歴史を持ち、赤い風船ブランドを通じて、家族旅行やテーマ旅行など、さまざまなニーズに対応したプランを提供しています。
初日 – 長野市探索
名所巡り-川中島合戦古戦場(無言の物語 )
長野市立博物館より
上杉謙信の陣があった妻女山。川中島が一望できる。↓
地元の食事-おやき↓
遅くなったので、パンが晩御飯となりました。
長野しかない、”おやき”という食材がありました。野沢菜やなどのおかずがなかに入っている様で、固そうなので今回は、パス。
地元のホテル-メトロポリタン長野
豪華なエレベーター↑
落ち着いた室内↑
駅ビルに併設したホテルなので駅が一望できる。↑日本旅行の”赤い風船”企画だから泊まられたと思う。
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2日目 – 長野の自然、上高地と歴史の松本城
自然の美しさを堪能
長野駅前のホテルに泊まったので、朝5時に起床。
6:30長野出発。
上高地へ国道19号で行く。
途中、”生坂水鳥公園に寄りました。水面の静けさ
を感じます。
小木曽屋玄治郎蕎麦屋。まだあいてなかった。
松本市、島内 8:30
この辺りの風景と語らい。↑
松本市波田ー青空のキャンバス8:50↑
さわんど駐車場着きました↓9:30
14℃ 天気予報みて出たけど、風も強く寒い。乾いた風の歌をききました。
上高地は標高1500メートルあるようで風の囁きが聞けました。
要約「沢渡(さわんど)は、山の近くにあり、たくさんの人が観光や山登りに来る場所です。昔、この場所は大切な道路の一部で、いろんなところとつながっていました。沢渡という名前は、たくさんの川が集まる場所という意味です。だから、ここは水がたくさんあります。
さわんど温泉は、1998年に始まりました。この温泉は、遠くからたくさんのお湯を持ってきたんです。このお湯は、透明で、ちょっと匂いがします。でも、このお湯は体にとても良くて、体をあたためてくれます。」写真より
歴史の息吹を感じます。
アルピコ交通は長野県の大きな会社の様です。↓
さわんど大橋から河童橋まで往復2400円。(広告日本旅行「赤い風船」
にはふくまれていません。)大正池でおります。
アルピコバスの車内 10:10出発
車窓から焼岳が見える。
大正池で降りて、河童橋まで歩きます。河童橋から大正池に行くと、帰りのバス、大正池のバス停から満員のため乗られない事があると、車内でアナウンスされてました。
10:30
大正池。写真4枚。湖面の静けさ、静寂の美
奥穂高岳が見えました。
木々のささやきを聴きながら歩きます。
大正池から田代池まで。道の途中に石ころや水溜りに木が渡してあったりと、ベビーカーや手押し車での歩行は大変そうでした。
焼岳(標高2,455m)は今なお噴火活動をしている。
田代池。色彩の響き。11:10
田代池から梓川河原。時の流れが止まります。
田代橋から穂高方面。自然のハーモニーが綺麗。
ほたかはしから穂高方面11:45
要約「六百山と霞沢岳は、穂高の近くの山です。穂高の山が有名なので、この二つの山はあまり知られていません。でも、ここからは二つの山がきれいに見えます。
あまり多くの人が登らない霞沢岳ですが、山を登るための道があります。六百山は高さ2450mあり、この辺りの名前は、昔、木を切って売っていた上高地の歴史を教えてくれます。」(写真より)
穂高橋から上高地温泉ホテルまでの間の景色
上高地温泉ホテルから河童橋-おすすめスポット
やっと、トイレを見つけた(^_^;)
実は、田代池の所にもあったみたい。
大正池の所で用を足しておくべき。教訓。”この標識の所にトイレがあった。)
河童橋まで1.1キロ 12:00
お願い看板
採らない。植物や昆虫などの生きものを採らないでください。
与えない。野生動物にエサを与えないでください。
捨てない。ゴミはすべてお持ち帰りください。
持ち込まない。ペットや外来生物を持ち込まないでください。
踏み込まない。歩道を外れて歩かないでください。
お猿さんがいたので驚きました。エサ与えてはいけないなですね。↓
河童橋に向かう途中、紅葉が見れました。精錬された風景。
名所-河童橋12:30
河童橋からの眺め
美味しい川魚でも、食べようと思ったのですが、人が既にいっぱいで、オーダーストップ。お腹が空いていたので、やむなく、下山。12:55のバスで降りることに。弁当持ってくれば、ゆっくり出来たのに、残念。
バス停まで15分
現時点では、7番乗り場がさわんど行きだそうです。
松本城に行く途中で、信州のそば処せきや松本店を見つけました。15:00お腹ぺこぺこ。オーダーストップ15:30だからギリギリだった。
長野県松本市新村2275-1
信州福味鶏とり南かけそば1390円
海老天そば1390円
天ざる十割そば(上)1790円
小計¥4,570
“そばゆ”というものがでてきた。広島生まれの広島育ちの58歳のわたくしは、一度もこれまで口にしたことがなかった。息子がネットで調べて「栄養があるんだって」と言ってのんでいた。勇気が出なかった。
歴史的な訪問先-松本城
16:10に松本市営開智駐車場に着いた。
松本城のすぐ近くでした。
急いで松本城へ。
どの方向から見ても美しい
戦国時代の歴史の証。
古城の威厳を感じます。
天守閣から四方を見た。
松本城を直近だ見たところ。
ここで17:00となりホテルに行く事にしました。
松本市のホテル-アルピコプラザホテル
アルピコプラザホテル駐車場
チケットをとってホテルのフロントに出したら一泊1100円になる。↑
アルピコプラザホテル
(広告日本旅行「赤い風船」
にはふくまれていません。)
フロントはコンピュータ化されていた。タッチパネルでチェックイン
部屋
3日目 – 歴史の息吹-長野市立博物館と帰り
アルピコプラザホテルから長野市の歴史
令和5年10月18日朝7.5℃寒い。7:30出発。宿泊費大人3人素泊まりで23000円でした。
ホテルからの風景
松本市から高速で長野市へ
交通手段はレンタカー
松本市から長野市は北上するのでアルプスが近づいてくる感じがします。
長野市立博物館9:00着
緑の絨毯
長野の歴史
要約:埋め立てられた海
約1300万年前に、北アルプスの山々が高くなり始めました。山から流れる川が、土や石をたくさん海に運ぶようになりました。その土や石が海の入り口や近くの海岸にたまって、海の水が少しずつ少なくなり、地面が見えるようになりました。それで、長野湾はだんだん浅くなって、海岸線が北に向かって動きました。そして、約160万年前に、長野県の地域は全部陸地になりました。簡単に言うと、山からの土や石が海を埋めて、新しい土地ができたんです。
要約:周囲の山々の石
盆地の周辺には、色々な種類の石があります。崖(これは、山の切り立った部分のことを言います)を見ると、山の中に何があるかを見ることができます。それはちょっと、大地の歴史の本を開くようなものです。
さて、長野が昔は海だった時、波や水の力でできた砂岩や泥岩ができました。これらの岩は、砂や泥が固まってできています。さらに、火山が噴火した時にできた岩もあり、それは安山岩と呼ばれます。これらの岩は、ちょうど火山の火や溶岩が冷えて固まったものです。
それから、これらの岩や土の層がどのように積み重なっているかを見ることができる地図があります。これを「地質図」と言います。地質図は、どの層がどの時代にできたのかを示していて、地面の下の大地の歴史の物語を教えてくれる特別な地図なんです。それはちょっと、時間の旅をするような感じがありますね!
645年から1180年までの長野にまつわる年表がありました。
川中島の戦いの企画展をやっていました。
武田信玄
要点:
武田軍の特徴
棒道(ぼうどう)は、昔の日本で作られた特別な道路で、武田軍の兵士たちが速く移動できるようにするために使われたと言われています。この道路は甲斐国(今の山梨県)から信濃国(今の長野県)へと続いていて、ちょうど馬が2頭並んで走れるくらい広かったんですよ。棒道には見張り台や門があって、敵が来たらすぐにわかるようになっていました。
しかし、実際に棒道があったのかどうかは、今でも人々の間でよくわかっていないんです。でも、今でもその話が伝わっていて、古い構造が残っている場所もあるんですよ。
甲斐国は馬がたくさん生まれていたところで、武田軍の兵士たちは馬に乗って戦ったことで有名です。でも、武田軍が戦国時代で最も強い騎馬隊だったかどうかについては、人々の意見が分かれているんです。
だから、棒道や武田軍の馬に乗った兵士たちの話は、今でもたくさんの人々にとって面白い話となっています。
上杉謙信
上杉軍の特徴
要点:
上杉謙信(うえすぎけんしん)と武田信玄(たけだしんげん)は、昔の日本の強いお城の主で、それぞれの地域で領土を広げたかったんです。でも、ふたりの領土がちょうど隣り合っていて、お互いに同じ地域を取ろうとしていました。
ある日、川中島(かわなかじま)という場所で大きな戦いが起こりました。上杉謙信さんは、この戦いで勝って、自分の領土を守るために信濃国(しなのくに)と越後国(えちごくに)に、たくさんの手紙や文書を送って説明しました。
上杉謙信は初めて、信濃国の武士たちが困って、助けを求めてきたから戦ったと言いました。でも、後で武田信玄が信濃国をほとんど支配してしまったので、上杉謙信は今度は、戦いで亡くなった人たちを悼むために戦ったと言いました。
上杉謙信は信濃国への出兵(しゅつへい=兵士を送ること)で、地域の人々に自分の方に味方してほしかったかもしれません。これは、上杉謙信がもっと多くの人たちに支持してもらい、自分の領土を広げたかったからです。
時流れを感じます。
帰り道
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長野駅でソースカツ丼の駅弁を買いました。
2023年10月18日(水)12時24分
T中盛ロースかつ弁当
@860×2
¥1,720
Tヒレ弁当
¥1,690
小計額
¥3,410 長野の郷土料理でしょうか。
まとめ
広島と長野は日本の特別な場所で、それぞれ違った魅力があります。広島は戦争の後、平和を大切にする場所として成長しました。長野は自然がたくさんあり、古い文化や伝統が今も残っています。
この旅で、新しい場所や文化を見て、日本の歴史や自然を直接感じることができました。長野の自然や歴史的な場所は、心に深く感じることができました。広島と長野の違いを経験することで、日本にはたくさんの特色があることを学びました。
長野では、地元の料理などを楽しむことができました。広島から長野までの道中では、日本のきれいな風景を見ることができました。
この旅を通じて、日本の美しさや歴史をもっと知ることができ、とても楽しい経験をすることができました。これは日本の自然や文化をもっと好きになる旅でした。